岡山地方裁判所 昭和35年(ワ)369号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕一、争いのない事実
原告は、訴外守道寿太郎が昭和二七年九月四日設定の登録により取得した本件実用新案権(登録第三九五九三六号)を昭和三三年一月二二日付移転登録により全部取得したこと、本件実用新案登録出願の願書に添付した説明書の登録請求範囲の記載が原告主張のとおりであること、被告らは夫婦であること、被告敏夫が原告主張の期間(イ)号製品の製造販売をなしたこと、(イ)号製品における循環気ポンプ駆動装置の構造が本件実用新案の技術的範囲に属することはいずれも当事者間に争いがない。
二、先使用による通常実施権について
(一) <証拠>によれば、被告敏夫は昭和六年岡山県児島郡下津井町の尋常小学校を卒業後丸亀市や大阪市の鉄工所へ工員として勤務した後、昭和一二年一〇月から独立して大阪市此花区において個人企業の鉄工所の経営を始め、終戦後は郷里の下津井町大畠へ帰り、昭和二〇年一〇月頃から同地において「発動機製作所」の名で鉄工所の経営を再開し、主として小型漁船用発動機の製造販売に従事していたが、昭和二二年から昭和二五年頃にかけて製造していた各種発動機中には(イ)号製品も含まれており、これを九州方面の漁業関係者等へ相当数販売した事実が認められる。
(二) もつとも、被告敏夫本人尋問の結果によると同被告は昭和二七年一一月に至り、やはり古くから岡山においてTナイトモーター製作所の名で小型漁船用発動機の製造販売を行なつていたBが事業に失敗し倒産寸前の窮況に陥つた際、同人の負債を全額肩代りする代償としてTナイトモーター製作所の営業権、工場設備等一切を同人より譲り受け、昭和二八年八月には同製作所を株式会社組織に改め操業していたが、昭和二九年六月頃本件実用新案の考案者であるM(同人も被告敏夫、B等と同様古くから発動機の製造販売事業に関係しており、戦前にはTナイトモーター製作所の特約代理店を営んでいたこともあつた。)と知り合い、当時眼病を患い、失明に近い状態にあつた同人の懇請により同人を株式会社Tナイトモーター製作所の販売および外交担当者として採用したこと、しかし昭和三〇年頃からヤンマーディーゼル、三菱重工等大手メーカーの開発したディーゼルエンジンが大量に出回つたため岡山県下の中小発動機企業は壊滅的打撃を受け、Tナイトモーター製作所も昭和三一年六月には倒産するに至り、その後被告敏夫は再び個人企業のYモーター製作所を経営していることが認められ、……かつ……昭和二九年末から昭和三〇年にかけて配布された株式会社津田ナイトモーター製作所の小型漁船用発動機製品カタログ……には、「特許数件を有するTのナイトモーター」なる見出しの下に「考案者出願者M」として、他の二つの実用新案登録番号と並んで本件実用新案登録番号の記載がなされている。
しかし、被告敏夫本人尋問の結果によれば、被告敏夫はBの後を引き継いでTナイトモーター製作所において操業するようになつてからも、下津井町のY発動機製作所で使用していた機械設備、加工用具、鋳造用木型等をも引き続き使用していたのであり、右カタログは被告敏夫がMに外交販売関係の仕事を一任した関係上、その宣伝文句等はもつぱらMの裁量に委ねたこと(但し本件実用新案登録番号および他の二つの実用新案登録番号をカタログへ記載することについては、Mの要請により被告敏夫が承諾を与えた。)が認められる。そのうえ、右カタログ中の「最近の特許」と題する項目に記載されている説明文も「最近、カム、シリンダー、排気バルブは、特殊な改造を致しまして、同径同ストロークのものにして『ナイトモーター』は他に比して何割かの馬力増大が実現されて居ります」というのであつて、循環気ポンプ駆動装置に関する本件実用新案とは無関係の記載であることが明らかであるから、、右カタログ中の本件実用新案登録番号の記載は、必らずしも被告敏夫がMをTナイトモーター製作所へ迎え同人の技術指導のもとに(イ)号製品の製造を開始したことの証左とすることはできず、むしろ被告敏夫およびMにより得意先に対する宣伝上の心理的効果を狙つてなされたものと認めるほかはない。そして、証人B、同Mの各証言によれば、Bが戦前より開発製造し、「ナイトモーター」の商品名を冠していた電気着火式発動機は全国的にその名を知られていたが、同人が出願手続の不備などから登録を受けないでいる間に、戦後いち早くMが右「ナイトモーター」について商標登録を受けたためBは特許庁に右商標登録の無効審判を請求したが、結局MよりBに対して相応の金銭を支払うことで和解が成立したこと、MはTナイトモーター製作所の販売外交係として活動している間、被告敏夫から給料としてではなく若干の金銭の支払いを受けていることが認められ、右事実および前認定の諸事情からみると被告敏夫がMをTナイトモーターへ迎えたのは、発動機の販売に実績を有するMを外交販売に活用することに着眼したものと推認されるのである。したがつて、被告敏夫とMが知り合つた際、同人に対して被告敏夫が本件実用新案の実施許諾を求め、その代償として給料一万五〇〇〇円、売上げの三パーセントの使用料を同人に支払う旨の約定が成立した旨述べる証人Mの証言はたやすく信用できない。
なお、……本訴提起直前原告からの警告書に対する被告らの回答書……には、「M氏と拙者との共有に係る実用新案の件ならんと思料するも貴殿より金銭的請求を受ける筋合もなく且見当違いも甚だしい」との記載があるが、右本人尋問の結果によれば、本件実用新案共有の話がMと被告敏夫との間に持ち上がつたのは、昭和三三年頃Mが岡山県下の発動機業者数名を相手取り訴訟を起すに際し、被告敏夫を相手方に回すのは得策でないと判断したMの訴訟遂行上の思惑から同人より被告敏夫に対して持ちかけられたのがきつかけであるが、これも結局共有の登録までには至らうずやむやに終つたことが認められるのであるから、右記載は必らずしも前記M証言を裏付けるものとはいえない。
(三) また、証人M、Y……が本訴提起後間もなく作成した証明書……には、いずれも「被告敏夫が水ポンプ装置を新案の如く改造されたのは、昭和二七年一一月より大元のTナイトモーター製作所に来られてから以後のことであります」との記載があるが、右各証言および被告敏夫本人尋問の結果によれば、右両名はいずれも戦前からTナイトモーター製作所に勤務していた古参従業員であるが、被告敏夫を知るに至つたのは被告敏夫がBの後を引き継いで同製作所へ乗り込んで来た際であつて、下津井町時代における被告敏夫の事業内容については何も知る機会のなかつたこと、右両名は昭和三一年始め頃被告敏夫とMとが不和となり、同人がTナイトモーター製作所を退社して同業者のD鉄工所へ移つた際、同人と行動を共にしたことが認められ、右事実に照せば前記……の記載はたやすく信用することができない。同様に、証人F……作成の証明書……には、「私は昭和二三年頃当町にて舶用小型エンジンを製造販売して居りましたが、其の時の水ポンプ装置は大体ロータルポンプでありました。公報に示す水ポンプの半減速装置のものはなかつたのです」との記載があるが、<証言>によれば、Fは自身で戦前からフランジャー(ピストン)式半減速装置の循環水ポンプを製造販売していたにもかかわらず、本訴提起後間もなくMから執拗に依頼されたため不本意ながら同人によつて予め内容が記載されている右証明書に捺印したに過ぎないことが認められるから、……右記載およびこれと趣旨を同じくする証人Bの証言もたやすく信用することはできない。
(四) 以上の検討によれば、被告敏夫は本件実用新案登録出願の日である昭和二五年一〇月一五日当時、善意で国内において本件実用新案実施の事業である(イ)号製品の製造を、自ら経営するY発動機製作所の設備によつて行なうと共に、右製品の販売をなしていたと認めるのが相当である。したがつて、被告敏夫は(イ)号製品の製造販売につき、本件実用新案権に対し先利用による通常実施権を有する(旧実用新案法七条、実用新案法施行法六条、現行実用新案法二六条、特許法七九条)ものということができる。
三、被告渡辺さな江に対する請求について
同被告が被告敏夫の妻であることは前記のとおりであり、したがつて被告敏夫の事業に妻としての立場から終始協力補佐に努めてきたであろうことは推認するに難くないが、なお右以上に独立の経営事業者として(イ)号製品の製造販売に関し被告敏夫と共同事業をなしていたことについては、原告本人尋問の結果以外にはこれを認めるに足りる証拠がなく、右原告本人尋問の結果は<書証>および弁論の全趣旨に照してたやすく信用することができない。
四、結論
よつて、原告の被告らに対する本訴請求はすべて理由がないから、いずれもこれを棄却する。(五十部一夫 東孝行 大沼容之)